経営学部の得心

編集部: 国士舘大学経営学部で、学生たちはどんなことを学ぶのですか?

 国士舘大学の経営学部が目指しているのは、実践的な学びを通して、すべての学生に「ビジネス人基礎力」を身に付けてもらうことです。「ビジネス人基礎力」とは、実社会で活躍ができる優れたビジネス人となるために必要な、経営学を基礎とした問題発見、解決能力のこと。これらを身に付ける第一段階として、学生たちはまず、企業や経営の理論、経営管理の諸機能、そして会計の仕組みや制度、その歴史を基本から学んでいきます。入学してすぐに1年次の「フレッシュマンゼミナール」があり、ここで大学生活における学修のスキルを、グループワークなどを通して学びます。その後、「ゼミナール入門」で、経営学を学ぶための専門的な科目への導入演習を行います。段階を踏んで、少しずつ専門的な学びへステップアップしていけるようになっています。

編集部: 先生は経営学部で、どのような科目を教えているのですか?

 私が担当しているのは、経営学部の英語教育です。1、2年次では外国語必修科目の「英語1・2」「英語3・4」という授業を、専門科目の選択必修では「ビジネス英語Ⅰ・Ⅱ」という授業を担当しています。
 経営学部の英語教育では基礎力の強化を出発点として、英語で発信する力をつけるための道筋を作っています。通常、英語の授業で使用するテキストは年間1冊の場合が多いのですが、経営学部では2冊の統一テキストを使います。1冊はスピーキングとリスニングが中心です。英語を聴いてそのまま理解することや、自然なリズムで正確に発音する訓練をします。もう1冊は文法や語彙、英文読解力強化のものです。長文を正確に読むには語彙力に加えて、英文の骨格を作る文法規則の理解が不可欠です。英文法、語彙の習得、十分な量の英文読解、音声教材で英語のリズムを学ぶといった訓練を通して、英語の土台をしっかり整えた上で、実際に英語で考えて書いたり話したりすることへつなげていきます。

編集部: これだけグローバル化が進んでくると、
英語もビジネス人基礎力の一つだと思うのですが……。

 そうですね。世界の政治・経済、ビジネスの情報をいち早く得ることが今の時代には求められているのですから、ビジネス人として英語は不可欠です。実社会で通用する英語をきちんと使えるようになるために、経営学部には「ビジネス英語Ⅰ・Ⅱ」という授業があります。その場にふさわしい、丁寧で失礼のない英語表現を用いて、実際のビジネスシーンでどのように対応をすればよいかを学んでいきます。
 ビジネス英語といっても基本は人間同士のコミュニケーションなので、日本と海外の文化や習慣の違いを知ることも大切です。たとえば、多くの日本の企業では、会議は定刻にはじまりじっくり時間をかけて意思確認を積み重ねるプロセスが重視されますよね。一方で欧米の企業は効率重視の成果主義で、迅速な意思決定や個人単位でのリーダーシップ、発信力が特に求められると言われます。
 また英語では、はっきり物事を伝えることが重要だと思われがちですが、婉曲的な表現で丁寧さを表して相手を思い遣る言い方があります。履歴書の書き方なども欧米と日本では大きな違いがあります。応募者の現在のスキルや経験が第一で、一般的に性別や年齢、生年月日などを記載する必要はなく、写真を添付することもありません。
 この授業では、さまざまなビジネスシーン、たとえば就職活動での面接、履歴書の書き方、オフィスでの来客応対や電話対応、見積書の書き方、価格交渉やプレゼンテーション、スモールトークなど、多様なアクティビティを通して会話やスピーチ力、実践的なコミュニケーションスキルを身に付けます。
 今後は、英語のプレゼンテーションやミーティングでの議論など、より実践的なプログラムを考案しています。また、BBC(英国放送協会)のニュース英語を通して、イギリスのEU離脱問題の引き金のひとつでもある移民問題をはじめとする様々な世界情勢についても学ぶ予定です。

編集部: 先生のご専門は英文学です。
なぜ、この分野の研究を志すようになったのですか?

 私の父が日本近代文学が専門の大学教授だったので、小さいころから本に囲まれて育ったことが影響しているのかもしれません。ちょうど私が小学生のとき、演劇の研究のために父がパリに滞在した時期がありました。そのとき私たち家族も同行し、イギリスやドイツ、スイスなどを訪れたことが、海外の文学や言葉に興味を持つきっかけになりました。
 また、大学時代の恩師が、ラドヤード・キプリングやH.G.ウェルズなど、多様性のある作家の翻訳を次々と岩波文庫から出す教授で、英文学の魅力や研究の面白さを知ったのが大きかったと思います。大学時代はイギリスやアメリカ文学の様々な作品を読み、映画もたくさん観ました。
 その中で出会った作家が、研究対象であるトマス・ハーディでした。19世紀後半のヴィクトリア朝の小説家であり詩人ですが、時代に先んじて社会の問題をみつめて、ペンで近代化の波に挑み続けた作家です。イングランド南西部の自然豊かな土地を舞台に、田舎と都会、階級や教育の問題、社会における女性の地位など、現代に繋がるテーマが浮かび上がってきます。先史時代の環状列石ストーンヘンジを初めて小説に登場させたのもハーディでした。科学の進歩にもハーディは敏感で、天文学や地質学、進化論の観点から、当時の世界観の変容を作品にみることも可能です。一方で、手書き原稿を見ると、当時の出版における検閲の壁の前でハーディが苦闘した痕跡を知ることができます。

編集部: 英語の授業の中でも、先生の研究分野について話すことはあるのですか?

 そうですね、授業では英語のテキストで扱われたテーマとの関連で、イギリスの歴史や文化についてのトピックを時々盛り込むことがあります。たとえば、在位期間が最長になった現在のエリザベス女王と19世紀のヴィクトリア女王の話、またナショナル・トラストと『ピーターラビット』の作者ビアトリクス・ポターの関係、あるいは児童文学と『ピーター・パン』の作者J.M.バリーの話などです。映像を紹介しながら文化的観点から切り込んで説明をすると、英語の世界がより身近に感じられるようで、学生たちの表情がいきいきと輝く瞬間があります。

編集部: 先生はケンブリッジ大学に留学されていますね。
どのような研究をされたのですか?

 はい、2011年にケンブリッジ大学に客員研究員として留学をしました。図書館にこもってひたすら文献の調査をして論文を書いたり毎日が研究漬けの日々でした。教員との距離が近くて恵まれた研究環境だったと思います。たとえば、ハーディの叙事詩『覇王たち』において、ギリシア悲劇のコロスを彷彿とさせる進行役が、ナポレオン戦時下のヨーロッパを鳥瞰図的に見渡す独自の視点やその演劇性などの研究を行いました。
 留学中に様々な小説や戯曲と向き合う中でとりわけ印象深かった作品がブッカー賞作家のジュリアン・バーンズが書いた『アーサーとジョージ』という現代小説でした。この題名のアーサーというのはシャーロック・ホームズの生みの親のアーサー・コナン・ドイルで、ジョージは実在した事務弁護士のジョージ・エイダルジという人物です。パールシーの血が入ったジョージは、人種的偏見のために家畜の連続殺害の犯人として投獄されてしまいます。この冤罪を晴らそうとアーサーがホームズのようにまず解決の糸口となる答えを設定して、そこから謎を解く手法で推理を重ねて真相を明らかにしていくのです。人種差別の問題が浮き彫りにされたこの小説の歴史的事実と伝記作品の虚構性や探偵小説との関係、さらに語り手のイデオロギーや歴史的言説がどのように小説で再構築されるかについての論文を執筆しました。
 そのほかにも、ロンドンの劇場で上演されたヴィクトリア朝の笑劇(ファース)について、ケンブリッジで親しくしていた英文科の先生が執筆された劇評を翻訳して、日本の雑誌で紹介するような仕事もしました。

編集部: 留学先での生活は、どのようなものだったのですか?

 ケンブリッジでは、カレッジでのディナーはもちろん、お茶の時間を楽しんだりと、社交も盛んでした。当時、出会った友人は、今でも大切な生涯の友となっています。平日の夜は、大学の学生演劇を観て、週末はロンドンで芝居2本を観てから、終電でケンブリッジに帰るような生活を送っていました。
 他にも、オスカー・ワイルドとトム・ストッパードの芝居を観にバーミンガムの劇場まで足を延ばしたり、夏にはアイルランド文芸復興の作家ゆかりのダブリンのアビー・シアターや、エディンバラ・フェスティバルに行ったりと、演劇を通して英文学の魅力を再認識する毎日でした。トマス・ハーディ協会の学会で、ハーディカントリーのあるイングランド南西部のドーチェスターを訪れ、ハーディが設計した煉瓦造りの自宅や、幼少期を過ごした藁葺き屋根の家、英国ハーディ協会の人たちと小説の舞台を巡る小旅行などもしました。本当に思い出に残る充実した時間でした。

編集部: 国士舘大学の学生にどのような印象をお持ちですか?

 私は去年(2018年)の4月から国士舘大学で教えています。学生には、のびのびとした自由闊達な印象を受けます。学生と教職員の距離も近く、大学が一体となって学生をサポートしていこうという雰囲気を感じます。
 基本的に学生たちはとても真面目で、何事に対しても前向きに取り組んでくれています。授業でも、問題提起に対して真剣に議論をし、興味深く、意外な答えを用意してくれたりします。また、相手を楽しませようという意識が、ちょっとした会話の中にも感じられます。いつも笑い声の絶えない学びの場になっています。鋭いコメントに触発された学生が、新たに発言して、教室全体が盛りあがることもあります。英語の授業でのアクティビティにも臆さずに取り組む姿勢には、国士舘生のエネルギーを感じますね。ときどき学生たちが私の研究室に集まって、いろいろな話をしていくことがあります。このような賑やかで楽しい時間も、大切にしていきたいと思っています。

編集部: グローバル化の時代と言われています。
今、この時代に語学を学ぶことには、どのような意味があるのでしょうか?

 グローバルな考え方を持つとは、どのようなことでしょうか。私たちには、今、何が求められているのでしょう。この多様化された社会で大切なのは、他者を知ること、異文化を理解することだと思います。異文化理解とは自分が生きてきた世界とは異なる場所で培われてきた文化や人びとを知ることです。それは外国語ばかりではなく、人びとの多様な生き方を理解し尊重することにもつながります。
 現在、英語を使うのは英語圏の人びとだけではありません。言語や文化も異なる母語話者以外の多くの人びとが他者と交流するために英語を国際的な共通の言語として使っています。コミュニケーションというと、まず「話す」ことが思い浮かぶかもしれませんが、人間は「読み、書き、話し、聞く」という行為を行っています。そこには、必ず他者の存在を意識することが根底にあります。大切なのは、自分が何を伝えたいのか、相手は何を考えているのかを理解しようという意思を持つこと。上滑りで無為なやり取りを繰り返すだけでは、他者を理解することは困難です。人間は「言葉」を通して他者との関係性を構築してきました。この事実をはっきりと自覚して、他者の声に耳を傾ける。これが外国語を学ぶこと、ひいては国際化時代に生きる私たちに求められていることに他なりません。

編集部: 最後になりますが、4年間の学びを通して、どのような力を学生に付け、
社会に送り出したいとお考えですか?

 学生の皆さんには4年間で、自分で考えて問題提起をする力、物事を見抜く力を養ってほしいと願っています。そのためには、さまざまな人と出会って多様な他者の声に耳を傾けると同時に、いろいろな本を読み思索する機会を持ってほしいと思います。人間が発する「言葉」が記された「書物」から学ぶ読書体験は、他者を知り己を知る最善の方法です。授業で学んだことについても実際に本を手に取り、自分の中に知識として言語化するという作業を怠らず、世界を広げることを心がけてほしいと思います。
 多くの文献や新聞、雑誌などの活字に触れる機会を増やすことは、膨大な情報に流されずに自分の意見を確立し、体系立てて思考する軸を持つ人間へと成長する足掛かりとなります。読書によって培った洞察力をもとに、自身の関心や内なる声に耳を澄まして新たな地平を開き、力強く信念を持ち未来へと進んでいってほしいと思います。

今村 紅子(いまむら べにこ)准教授プロフィール

●九州大学大学院 人文科学府 言語・文学専攻 博士後期課程単位取得満期退学
●専門/イギリス文学・文化、英語圏文学、英語