国士舘大学の矜持"

今年、2017年、学校法人国士舘は創立100周年を迎えました。私学としての国士舘の歴史を振り返るとともに、ここから先の未来へと向かうために、創立100周年の節目に際して、国士舘とともに生きてきた大澤英雄理事長にお話をうかがいました。

編集部: 今年創立100周年を迎えた国士舘ですが、その伝統のよさはどこにあるとお思いですか?

 私塾「國士館」が誕生したのは1917年のこと。創立者は柴田德次郎という人物です。私は創立者から直接教えを受けましたので、柴田先生のことをここでは「舘長」と呼ばせていただきます。柴田舘長は26歳の若さで、国士舘を創立しました。以来、「世のため、人のために尽くす人材」の養成を旨とし、一貫した「文武両道」の教育を行ってきました。国士舘の教育の根底にあるのは「他への献身」という考え方です。これは真心を持って人に尽くすことであり、私は学生時代に、創立者である柴田舘長が学生に対して深い愛情をもって教えを説く姿を見て、この精神を学んできました。国士舘が創立して100年の歳月を数えますが、「他への献身」「世のため人のため」という国士舘建学の精神を、私は何よりも大切にしていきたいと考えています。 
 その一方で、100年前の創立当時と今とでは、社会や世界の情勢がだいぶ違ってきています。創立者から受け継いできた伝統の精神を大切にしつつ、現代のニーズに合わせるべきところは合わせていく、そして後世にそれを伝えていくことが、継承者である私たちに課せられた使命であると考えます。
 本学では、100周年を記念した15のプロジェクトを組んでいます。これを推進するにあたって、立ちあげ当初からできるだけ若手に入ってもらうようにしています。国士舘の伝統のよさを若手が理解し、そのバトンを次の世代へ受け渡していく、100周年事業はそのための礎になると考えています。

編集部: 国士舘大学の教育には、どのような理念があるのでしょう。

 理念として大切にしていることは、創立時と何ら変わりはありません。建学の精神である「他への献身」「世のため人のため」ということです。他への献身というのは、家族から始まるものだと思っています。まず、身近な家族への献身があり、そして同郷の人々への献身があり、それからひとりの日本人としての国への献身がある。身近なところから始めることが大切ですね。私個人としては、学園の学生、教員、職員、その家族を守ることを第一に考えています。そして、それをさらに学園の近隣へと広げ、地域に貢献できる存在になろうとしています。
 本格的に少子化が始まり、私学はこれから大変な時代を迎えます。こうなると地域密着ということはこれからの私学にとって絶対条件だと思います。地域に対する学園の貢献、知の還元、その一例として取り組んでいるのが「防災」です。具体的に申しますと、2012年に本学は「防災・救急救助総合研究所」を設置し、防災や救急救助の高い専門知識を持ち、有事の際にはリーダーとして活動できる人材を養成しています。国士舘にはこれだけ多くの若者がいるので、いざというときは必ずや近隣の力になれると思います。その準備段階として、正規のカリキュラムの中に防災に関する科目を組み入れることも視野に入れています。防災の専門知識を全学生に徹底して、いざ災害が発生した場合には、地域を守ることで貢献していきたい。地域の人々に守られる学園ではなく、地域の人々を守っていける学園になることで、創立者の「世のため、人のため」という熱い思い、理念を体現できると考えています。

編集部: 創立者の柴田舘長との思い出などはございますか?

 舘長との思い出なら、たくさんありますよ。国士舘大学の体育科に入学して以来、私はずっとここで育ってきましたから、数え上げられないほど心に残っていますね。
 たとえば、散髪の話です。大学を卒業して、私はそのまま国士舘に残ったのですが、当時はお金がありませんでした。大学の寮に入っていましたが、使える小遣いが少なくて、1日100円ぐらいだったかな、それで暮らしていました。風呂代が7円ぐらい、渋谷まで当時は玉電(現在東急世田谷線・田園都市線)といっていましたが、往復15円の時代です。で、あるとき舘長が私にいいました。「おまえ頭がぼさぼさだ」と。「床屋に何回行くんだ」というので、「月に1回です」と答えると、「だめだ、月に4回行け」というんですね。当時、床屋代はたしか90円とか100円だったと思います。なので「お金が足りません」といったら、それからずっと毎月床屋代だと言って千円、ポケットマネーから出してくれるようになりました。たいへん厳しい人でしたが、人情に厚い、心の底から学生のことを思ってくれる舘長でした。

編集部: このような理事長の体験が、「成績優秀奨学生制度」とつながるのでしょうか?

 そうですね。国士舘大学には「成績優秀奨学生制度」というものがあります。これは本学のデリバリー入学試験・C方式入学試験Ⅰ期(大学入試センター試験利用)の受験者を対象に、成績上位者50名(総得点80%以上の者)に対して、入学金や授業料等を原則として4年間免除する奨学生制度です。
 高校生の皆さんは大学を選ぶとき、自分の将来設計を考えるでしょう。将来の生活、ビジョン、自分でなりたいものがあるはずです。彼らは自分の夢を、国士舘で学ぶことを通して実現しようと思い、入ってきてくれるわけですから、そんな高い志を持った者を、ただ経済的な理由によって見捨てるわけにはいきません。学校が支援して志を全うしてもらう、それが国士舘創立者の思いだろうと思い、私はこの奨学生制度を導入しました。
 ただし、現在は入学試験の成績によって選抜しておりますが、将来的にはスポーツなどで優秀な成績を修めた人にも奨学金を出すことも考える必要があります。どこの大学でもいい、という人ではなく、はっきりと「国士舘で学びたい」という意思のある人を支援していきたいと思います。

編集部: そもそも理事長は、なぜ国士舘大学に入学されたのですか?

 私は北海道の生まれで、高校を出てすぐに函館の税関に入って職員をやっていました。その仕事は人の不正を暴くようなものだったので、あまり好きではなかった。それで高校の先生に相談したら、「君はサッカーが好きなんだろう。だったら体育の教員になったらどうだ」と勧められたんです。それで東京の大学に行くことになったわけです。
 ところが、最初に行くつもりだった大学には入れませんでした。それで別の体育大学を受けようと思い、願書を作ったら、なんと「ラグビー部はあるけどサッカー部はない」というじゃないですか。それで困り果て、当時「玉電」と呼ばれていた電車に乗っていたら、パラパラと風にはためく車内吊の広告が目に入りました。そこに「国士舘大学体育科三年制」とあり、「これだ!」と思って、松陰神社前駅に直行しました。そのとき初めて国士舘の地を踏みしめたのです。
 大学の受付で「サッカー部はありますか」と聞いたら、「ある」という。「強いですか」と聞いたら「強いよ」という。「グラウンドはありますか」と聞いたら、「すぐそこだよ」というので、行ってみたら、すばらしいグラウンドなんですね、これが。きれいにラインが引いてあって、ゴールポストもちゃんとある。これはいいぞと思い、受付に戻って願書を見せて、「この大学を受けられますか」と尋ねたら、大丈夫だというので、親には内緒で国士舘大学を受けてしまったのです。それで合格しましたが、でも、後で親にこっぴどく叱られました。「おまえはどうしてそう安易な方に流されるんだ」って言われて(笑)。家族みんなに反対されましたが、唯一母親だけが味方してくれて、国士舘への進学という私の希望を叶えてくれました。

編集部: それで国士舘大学に入り、サッカー部で活躍されたのですね。

 いやいや、そう簡単ではありません。実は驚いたことに、国士舘大学の体育科に入ってみると、そこにサッカー部はなかったんですね。新入生が大講堂に集められ、「希望する部の前に並べ」と言われたんですが、柔道、剣道、陸上、体操、バレーボール、バスケットボールがあり、確かにそこに「蹴球」の文字がありました。ただ、その前に並んだのは、私を含めてたったの二人だったのです。それもサッカー経験者は私だけ。これには参りましたね。後で分かったことですが、サッカーグラウンドがきれいに整備されていたのは、あの日がちょうど新設された国士舘大学体育科の文部科学省(当時の文部省)実地調査日だったそうです。それでグラウンドの整備が行き届いていたのですね。私はすっかり騙されていたわけです。部員たった二人でのサッカー部の船出。「キャプテンを決めなさい」というから二人でじゃんけんして決めましたよ。私が勝ったので、私が国士舘大学サッカー部の初代キャプテンになったわけです。今となっては笑い話ですけどね。
 それからですよ。私が苦労したのは。他の部に入った同輩に声をかけ、必死になってサッカー部に勧誘しました。「いいよ」と言って入ってくれる者もいましたが、でも、みんな落ちこぼれ。そりゃそうでしょう。他の部の部活がきつくて「おれもう付いていけない」といって来る顔ぶれですからね。それでもなんとか人数を13人まで増やして、関東大学サッカー連盟に登録して、認知されるようになりました。
 情けない思いもありましたが、でも、「よし、僕は絶対にここで頑張るんだ」という気持ちはありました。その後、自分の後輩やサッカー仲間に声をかけ、少しずつ部員を増やしていきました。経験者も増えて、少しはサッカーらしいことができるようになってきた。それ以後は、チームを強化することが楽しみになりました。だってそうでしょう。ゼロからの出発なんだから。何をやってもこれ以上のマイナスはない。いいように考えれば、こういう状況も楽しくなるものです。

編集部: 理事長は国士舘大学で、どのような人材を育成しようとお考えですか?

 今の学生に最も身に付けてもらいたいのは、「人間としての力」。ひとことで言えば「強い人間」になってほしいんですね。とくに精神的に強い人に。人間の真価は、窮地に追い込まれたときに初めて分かります。自分で壁にぶつかったとき、創意工夫を凝らし、自分が持っている力でどうやってそこを切り抜けていけるか、これを考えるすべが今の若者には足りないと思います。これをなんとかして強く鍛え上げなければならない。
 今の子は弱いんですよ。きわめて折れやすい。ピンチになっても「なんだ、大丈夫」と思えるぐらいの開き直りが持てるような人になってもらいたいですね。我々の時代とは気質が違うので、どう導いていくかは難しい問題だと思いますが、これはぜひやらねばならないことだと思っています。なんとかして若者のハートを強くしたい。そのためには、まず健康でなくてはならない。心身ともに強い若者をつくる、これが指導をする上で実践の一義だと私は思っています。

編集部: 最後になりますが、国士舘大学の教育で理事長が最も大切にされていることは何ですか?

 それは文句なく「学生に対する愛情」ですね。これは親以上のものを持ってくださいと、教員、職員のみなさんに向けて言っています。よく「最近の子はだめだ」みたいなことを言う指導者がいますが、そんなことを言う者こそだめなんだと私は思っています。たとえばテストの成績ですが、あれは子どもたちに優劣をつけるものではありません。子どもを指導している先生を評価するものなんです。できない子がいるということは、教え方が悪いことの証拠なんですから。一回言えば分かる子もいるし、三回言っても分からない子もいる。でも、時間がかかる子には時間をかけて、根気よく指導していく、これが教育というものでしょう。親と同じなんですよ、子どもたちにかける愛情は。これこそが創立以来の諸先輩方の思いであり、これを変えるつもりはありません。
 創立者の柴田德次郎舘長は、非常に苦労された方で、人生の窮地に立った時のことを大講堂の訓話で何度も聞きました。なんでも「三分坂」(港区赤坂五丁目と同七丁目の境界)という坂があるそうで、通る車賃が銀三分高いから「三分坂」っていうぐらいの急坂ですが、舘長は毎朝その坂道を荷車を引いて登り、牛乳配達をしていたそうです。眠くて眠くて、思わず居眠りをしたら、ずるずるっと坂の下まで戻ってしまったとか、そんな話をされていました。そういう苦労の中で、あまりにも辛くふと自ら命を絶とうと思ったことがあったそうです。そのときに声をかけ、立ち直らせてくれたのが、お母さんだったのですね。崖っぷちに立たされたとき、愛情を示して救ってくれたのが、母親だった。その親の思い、深い愛情が国士舘には息づいているのですね。
 「親と同じ愛情をもって、強い人間を育てること」、これが創立以来の国士舘の変わらぬ思いであり、これを私は本学の隅々にまで徹底的に行きわたらせていきたいと思っています。

学校法人国士舘 理事長 大澤 英雄(おおさわ ひでお)