文学部の対話"

編集部: 来年、文学部は創設50周年を迎えます。それに向かって、どのようなビジョンをお持ちですか?

 国士舘大学の文学部には「教育学科」「史学地理学科」「文学科」の3学科があり、その中には8つの学問分野があります。創設50周年に向けて、まずやりたいのは、この3本柱ともいうべき3学科の特色を明確に打ち出すことなのです。この3学科による文学部の構成は、他大学にはない国士舘大学文学部ならではのものだからなのです。まずは、この良さをもっとはっきりとした形で前面に押し出していきたい。一方、他大学の文学部にあって本学にないものもありますから、そのことは改めていきたい。50周年の節目を迎え、一度全体を俯瞰して課題を洗い出し、伝統を活かしながら、変えるべきところは変えていきたいと考えています。次代に向けて、よりよい形へと深化させ、成長していくことですね。
 こういう学部としての制度設計やカリキュラムとは別に、今以上に自由にキャンパス内で語り合える雰囲気を作っていきたいという考えも持っています。というのも、学生の方にもっと語り合いたいという要望があるからなのです。私は基本的には、大学は学生のためにあると思っています。学費を払い、学びの中心にいて大学を支えているのは学生なのですから、学生の声をできるだけ汲み上げていきたい。それが大学本来のあり方だと考えています。学生がイキイキと楽しく学び過ごせる環境こそ、大学には必要なのです。
 学生に直に会って話を聞くと、教員ともっと話したいと思っている学生が本当に多いのですね。若い彼らには、大学教授というとやや近寄りがたい存在にみえているらしい。だから、私としては、教員と学生、学生と学生が、今よりももっと気軽に自由に話し合える環境を文学部の中に築いていきたいと考えています。いつもの講義や演習から実践していって、次は廊下、その次は学園中で、自由に「対話」することがもっとさかんになる雰囲気をより全体に広げていきたいのです。

編集部: 学生にとって、大学はどういう場であるべきか。そういう視点で文学部を考えていくということですね。

 ええ、私自身、戦後の自由な気風の中で大学時代を過ごすことができたので、それはものすごくありがたかったと思っています。よい指導者とすばらしい友に出会え、恵まれた学生生活を送ることができました。そして、教員として国士舘大学に来たとき、まっさきに感じたのが、そのイキイキとした気風がここにはあるということでした。この自由な気風こそが、国士舘大学の大きな特色です。
 私は大学というのは、特別な何かをもらうところではないと思っています。もちろん授業があり、学びもありますが、でも高校までのように、一方的に知識や教養を与えられる場ではありません。大学は学生が自分自身を自ら作り上げていく場なのです。学内の環境も、教員との対話も、そして自分自身の生き方も、すべて自ら創っていくものであり、与えられるものではないというのが私の持論です。そのためにこそ、誰とでも気軽に話せる、自由な雰囲気を作って用意しておくことが必要なのです。
 教員と自由に語り、学生同士で熱い議論を戦わせる。ときには「度」を過ごすことがあっても・・・。そうやって4年間、イキイキと充実した日々を過ごすことで、学生には自分自身をしっかり持ち、個性を伸ばし、自己主張できる人となって、社会に出て、悔いのない人生を送ることができれば、と願っています。そのために、今以上に誰とでも気軽に「対話」できる雰囲気を、文学部の中に創っていきたいと思っています。なぜなら、それが文学部で学ぶことの特色だからです。
 そもそも文学部とは人間の生き方を学問として扱っています。人間の生き方そのものがテーマといってもいい。だからこそ国士舘大学の文学部には、教育学があり、倫理学があり、初等教育があり、考古・日本史学があり、東洋史学があり、地理・環境があり、中国語・中国文学、日本文学・文化があるのです。3学科8学問分野からなる幅広い学びが用意されているわけです。普通はこれだけで3学部ぐらいになりますよ。それがギュッと一学部に凝縮されていることになります。これを学生には最大限に利用していただきたい。自由に熱く教員や友と語り合いながら、自分を見つける旅を思う存分してほしいのです。
 専門課程を少人数制でやっているのは、まさにそのためです。教員と学生が対等に分かり合い、互いに意見を出し合える場として機能する少人数制なのです。ゼミ形式で学生と教員が一緒になって、自分の特色を伸ばし、さらに成長し合える場にしていきたいのです。
 自分に自信をもてない人や、大学で何をやっていいか分からない人にこそ、文学部はおすすめです。ここに来て、ゼロから自分を探せばいいのです。やりたいことを見つければいいのですから。恐らく期待以上の効果を、文学部に来れば知らず知らずのうちに上げられると思います。そのためにも、国士舘大学の特色である自由でイキイキとした「対話」の雰囲気に磨きをかけていきたいのです。

編集部: 先生は国士舘大学で、どのような研究をなさっているのですか?

 私が専門的に研究しているのは、ユーラシア史ならびに中国史における「清」のことです。清は、実に不思議でおもしろい国なのですね。世界史においても、ユーラシア史においても、アジア史においても、これほど特異で興味のつきない国は珍しいでしょう。清というのは複合多民族国家なのですね。満洲族、モンゴル族、漢族、チベット族、ウイグル族、朝鮮族など、これだけ多彩で特色のある民族、宗教、文化を一つに飲み込んで国を形成したのは、世界の長い歴史を見て例がありません。そして、かつての清が造り上げた巨大な領土をほんの少しだけ小さくして、今の中華人民共和国がそっくり受け継いでいます。どういう形で清朝の領域が、今の中国になったのか。満洲族が作り上げた国の構造を、なぜ今の中国は否定せずにそのまま受け継いでいるのか。なぜ毛沢東は清朝の皇帝を象徴していた天安門の上から中華人民共和国の設立を宣言したのか。いろいろと不思議でたまらないことが数多くあるからなのです。
 私は学外においても、「東洋文庫」という東洋学の専門図書館・専門研究所で研究をしてきています。が、清のことはまだほとんど分かっていないといってもよいような状態です。分かっているのは100%のうちの10%にも満たないような状態にあると考えています。そもそもヌルハチがなぜ満洲族世界を統一できたのか。初めて皇帝を称したハンはホン=タイジといいますが、この人の実名すらはっきりとはしていません。ホン=タイジというのはモンゴル語で皇太子という意味で、名前ではないのです。あの有名な西太后も、名前も由来も実ははっきりとしているわけではありません。なぜはっきりしないかというと、文献が少ないのですね。皇帝や当該の関係者がそうしたことのわかる記録を隠してしまったりしているからなのです。私は大学院生のときから「東洋文庫」で「清」をめぐる問題の研究に携わり、今は「清代東アジア・北アジア諸地域の歴史的構造分析」班の研究代表をしておりますが、やり始めると分からないことだらけなのが「清」という国をめぐる研究領域なのですね。

編集部: 先生はなぜ、この分野の研究を志すようになられたのですか?

 私がこの分野の研究に進んだのは、ある意味、仕方なくですね(笑)。自然の成り行きでこの道の研究者になっていました。というのも、私の祖父が明治の頃に大陸にわたってこうした研究を始めていたのです。祖父は西太后に仕えていた人々と直接に交流のあった人で、五・四運動のデモにも参加していました。私の父親も北京で生まれ、やはり清朝史の研究を行っていました。だから、うちには西太后にゆかりある品や康煕帝の書、日清戦争当時の中国外交における中心人物であった李鴻章による直筆の書などがあるわけです。こうした「家の学問」の伝統を背景として、祖父から父へと受け継がれてきた学問を私も受け継ぎ、三代目の研究者となったわけです。
 思えば、子どものころから家の中には清のものがあふれていました。そのため、潜在意識に入ってしまっていたのでしょうね。祖父の代から続いている石橋家の学問である北京史、および満洲史、満洲族の社会と文化についてなど、小学生の頃から父に言われて書き写していましたから。思春期には反抗し、嫌がって、一時は好きだった音楽の道に真剣に進もうと思ったこともありました。でも、病気をして失明しかけるなど、いろいろとありまして、結局はこの研究を仕事にするようになりました。
 大学院生のとき、漫画家の手塚治虫さんにまつわる仕事をする機会がありました。マンガ『伝記 世界の偉人』シリーズの2「孔子」の解説や、全12巻からなる『マンガ中国の歴史』というシリーズ本で、そのマンガの編集参与として時代考証を引き受けたのです。登場人物の着ている服やヘアスタイルが正しいかどうか、といったことを検証する仕事です。そのために私は一から中国史を勉強し直すことになりました。責任重大なので、必死に勉強しましたよ。歴史の流れは作家の陳舜臣さんが監修なさっていて、そちらの考証もやりましたので、普通には経験することのできない貴重な修業になりました。いま思うと、これをやって本当によかったと思っています。私にとってはいい勉強をすることのできた仕事でした。
 そうして、35才のときに、いよいよ私は教員として国士舘大学の門をくぐることになったわけです。今から30年ほど前のことですね。初めにも申しましたが、国士舘大学は、学内に活気があり、イキイキとしていました。学生の威勢のいい声が飛び交っていて、先生も皆さん個性的で、「すごいところに来たなぁ」と思ったものです。文武両道が国士舘のモットーですが、まさにそれを地で行く感じがありました。それこそ、国士舘大学の「建学の精神」に基づく元気が満ちあふれていたからなのでしょう。

編集部: 最後になりますが、先生は学生さんをどのように育てて行こうとお考えですか?

 そうですね、学生が10人いれば10の個性があります。こちらから何かを押しつけるのではなく、私はその個性を伸ばしていってあげたいと思っています。3年、4年では卒業論文に取り組みますが、テーマ探しは1、2年からやってもらっています。テーマを出してもらうときは、たとえば「中国の何が知りたいのかな?」という問いかけを学生に投げかけています。何でもいいのです。衣食住のどれでもいい。中国に興味が持てそうなもの、中国のことがもっと知りたくなることを、何か探してきてごらんと言っています。学長がおっしゃるように、「学生には独自性プラスαの特性をさらに付けて、自分の力でやりとげる喜びを噛みしめさせて送り出す」ということに全力を傾けています。
 私にとっていちばん嬉しいのは、学生たちが4年生の3月に、「先生、俺たちやったよね」と満面の笑みで卒業して行くのを見送ることができたときです。頑張って学んできた学生たちの「私たち、できたよね!」という声を聞くのが、どれほど嬉しいことか。これが文学部の力だと思います。文学部だからこそできる熱い学びだと思います。
 私は中学、高校と剣道部で部活をやっていました。私の父が「剣」の達人で、縁があって私が通っていた学校の剣道部の師範やコーチをやっていたのです。その父の言葉に「文の側からの文武両道が大切だ」というものがありました。「武」の側からの文武両道は普通に言われます。しかし世界史を広く見わたしてみますと、「文」の側から重要な事例が意外と多いのです。国士舘大学には体育学部に「こどもスポーツ教育学科」があります。文学部にも「教育学科」があり、「教育学」と「初等教育」があります。こうしたことは珍しく、他大学にはあまり例を見ません。「こどもスポーツ教育学科」が「武」の側からの文武両道とすると、文学部の「教育学科」は「文」の側からの文武両道を目指しているものと言えます。もちろんここでいう「武」とは武道のことだけを指すわけではありません。たとえば音楽をやりながら勉強する、公務員を目指しながら陸上競技に励む、教職員を目指しながら水泳に打ち込む、こういったことも文武両道のうちに入ると思うからです。
 ここで4年間を過ごす学生たちには、文学部という懐の広い学びのフィールドで、大いに学び、遊び、語り合い、個性を伸ばしながら、強く逞しい人間になっていってほしいと願っています。そのためにも、国士舘大学ならではの自由に「対話」のできる雰囲気を、今以上に文学部から国士舘の全体に広げていきたいと考えています。

石橋 崇雄(いしばし たかお)教授プロフィール

●東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専門課程(博士)を単位修得退学
●専門/ユーラシア史における「清」の国家構造論