創立100周年を迎えた国士舘の歩み
100th Anniversary
Since 1917-

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創立者柴田德次郎の理想を実現。
1917年「国士舘」誕生。

創立者の柴田德次郎は、九州福岡より14歳で上京。学問に勤しむ中、日本をより良くしようという想いで、理想の青年教育の実現に取り組みました。そしてわずか26歳で、この夢を実現。1917年に青年有志とともに「活学を講ず」の宣言を世に発して、東京市麻布区笄町(現在の港区南青山)に、私塾を創立したのが国士舘大学のはじまりです。その目的は、新時代を担う青年の育成、すなわち「国士」を養成することにありました。「国士」とは、人と社会に尽くせる真の人格者のこと。以来、「読書・体験・反省」の実践により、四徳目「誠意・勤労・見識・気魄」の涵養(かんよう)を教育の理念に掲げて、これまで約16万名もの卒業生を世に送り出してきました。

柴田德次郎と有志たち、
国士舘教育が目指すもの。

国士舘の設立趣旨には、吉田松陰の精神を範とし、明治維新の原動力となった松下村塾を理想とすることが示されています。新時代を切り開こうとする創立者柴田德次郎らは、激動の幕末期、思想家・教育者として生きた松陰に深い崇敬の念を抱いていました。1919年、世田谷の松陰神社への参詣が契機となって、国士舘は、新教育にふさわしい地として現在の世田谷キャンパスに移転します。そして1919年に高等部を、1923年には中等部を設置。政治・経済・哲学などの学問を深めると共に、柔道や剣道など武道に力を注ぎ、また草創期には教職員と学生が寝食を共にする独自の寮生活を教育に取り入れました。このように国士舘生活を通して、強い精神力と身体を育む真の人材育成に取り組みました。

歴史の証人。
国士舘のシンボル「大講堂」。

世田谷キャンパスにある大講堂は、国士舘100年の歴史の証ともいえる存在です。1919年の港区南青山から世田谷へと移転した際に建てられ、当時は教室として使用されていました。学生たちが畳に座り机に向かい講義を受ける、まさに「講堂」でした。煉瓦や石造りの西洋建築が主流だった時代、あえて純日本風の木造にこだわって建てられました。そこには日本の歴史と伝統を重んじる国士舘の姿勢そのものが表われています。大講堂は、1923年の関東大震災、1945年の大空襲、2011年の東日本大震災などの災害や戦禍の際も、教職員・学生らの尽力によって難を逃れ、現在も当時と変わらぬ姿を残しています。そして今日まで脈々と続く建学の精神と共に、大講堂は後世へと受け継がれ、国士舘大学の発展を見守り続ける存在となるでしょう。

多くの賛同者と共に歩む国士舘。
総合大学へ発展の道。

国士舘の創立以来、政界・財界・教育界・新聞・言論界など、さまざまな人々の賛同と支援によって、その発展は支えられてきました。1921年には「国士舘維持委員会」が発足。頭山満・野田卯太郎・渋沢栄一・徳富蘇峰らの支援を受け、1925年に中学校、1926年には世田谷地域と共同で商業学校を創設、その後、専門学校、高等拓植学校などを設置します。戦後は、1952年に「国士舘大学維持員会」が発足し、緒方竹虎・松野鶴平・石井光次郎・石橋正二郎らの支援を得て、1948年に高等学校、1953年に短期大学、そして1958年に国士舘大学を創設、1965年に大学院を設けて、一大総合大学へと発展を遂げました。
※現在、商業学校・専門学校・高等拓植学校、短期大学は廃止。

変化する時代と国士舘。
伝統と進化、その先へ。

目まぐるしく変化を遂げる現代にあって、国士舘は常に時代の要請に応えつつ、伝統を堅持しながら進化を遂げています。近年では、21世紀アジア学部・理工学部・経営学部などを設置、大学院に各研究科を新設、加えて梅ヶ丘校舎やメイプルセンチュリーホール建設などの創立100周年記念事業も展開しています。国士舘は現在、世田谷・町田・多摩の3キャンパスに、大学7学部、大学院10研究科、高等学校、中学校を擁し、新たな時代を担う真の人材育成を行っています。


創立100周年を記念する特別サイトはこちらから。

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